こんにちは、ノマド旅のShotaです。
会社員を辞め、カップルでYoutubeをやりながら東南アジアを旅しています。
この記事では、旅を通じて、ふと思ったことや考え事、ひとり言を書き留めています。
他の記事では、旅の情報や費用についてまとめていたりするので、そちらもぜひ覗いてみてください。
世の中に溢れる「時短」という言葉
世の中には「時短」という言葉が溢れています。
「時短テク」「時短家電」、「タイパ」も時短の一つでしょう。
Googleの月間検索数でも、時短というキーワードは6,000件以上。一億総時短社会と言っても過言ではありません。
ある記事によると、1970年代、働く男女の余暇時間の平均は6時間。しかし、今は男性が5時間23分、女性は4時間47分と、こちらも時短されているそうです。
昔に比べてテクノロジーが進歩し、より便利なものが生まれ、物事の効率化が進んできました。
旅をしていても、スマホ1つあれば航空券や宿の予約ができるし、Googleマップを使えば近くの美味しいご飯屋さんもすぐに見つかります。
こうした技術革新が進み、より多くの人が効率化を求めた結果、今の時短社会に行き着きました。
人生は有限で、より多くの経験をした方が人生の質が上がる。そう考えるのも納得できます。
しかし、時間までも効率化した人生は、死に際で「いい人生だった」と思えるのでしょうか?
時短の割に忙しい現代人
ふと思ったことがあります。「時短、時短と聞く割に、どんどん忙しくなってない?」と。
シンプルに考えて、「時短」によって生まれる時間があるはずです。1時間かけていたものを30分にできたら、30分の余裕が生まれるはず。
それなのに、なぜ世の中はこんなにも忙しい人で溢れているのだろう?
テレビCMでも、「忙しい現代人へー」のような謳い文句をよく見かけたりします。
社会という大きな流れの中では気づかないけれど、一度そこから上がってみると見えてくることがあるはずです。
現代人が忙しい理由
時短社会に生きる現代人が、いつまでも忙しさから解放されないのには理由があるはずです。
そこで、私なりに考えた3つの理由をまとめていきます。
※あくまで、一個人の意見として読んでください。
時短によって生まれた時間に新しいタスクを入れがち
まず1つ目は、「時短によって生まれた時間に新しいタスクを入れがち」。
せっかく生まれた余白に自らタスクを入れてしまい、結局そのタスクに追われて時間を失う。
それを否定するつもりはありませんが、もし「時間に余裕がほしい」「人生に余白が欲しい」と感じているのなら、一度立ち止まって考えてみる必要があります。
時短アイテムを買うために多くのお金を支払っている
2つ目は、「時短アイテムを買うために多くの支出をしている」。
これはよく見聞きするので、当てはまる人が多いのではないでしょうか?
例えば、仕事が忙しくて家事の負担を減らすために、時短家電を買うとする。
時短家電は便利な機能がある代わりに、値段が高い傾向にある。
買ったはいいものの、支出が増え、より多くの時間を費やして働がなければいけなくなる。
※個人消費は経済の循環につながるし、働くモチベーションになるので悪い訳ではない。
時間に余裕がない人がやるべきことは、「時短家電を買う」のではなく、「忙しすぎる仕事や予定を考え直す」ことかもしれませんね。
SNSの影響で、暇な時間を「無駄」と感じてしまう
SNSは、多くの人にとって、切っても切り離せない存在となりました。
自己表現の場、友人との交流の場、ビジネスの場、などの「プラットフォーム」として利用されています。
多くの人が集まる「場」だからこそ、それぞれの価値観が交差し合い、良い面と悪い面が生まれてきました。
良い面は、同じ価値観・趣味を持った人たちとの繋がりができ、自分の世界が広がることで、心の拠り所が生まれる。
悪い面は、自分と多くの他人を比べてしまい、自分を見失ってしまうこと。
SNSという表面的な部分が映る世界では、見ず知らずの人のキラキラした部分が目に飛び込んできます。
暇な時間に家でゴロゴロしていて、何となくSNSを開くと他人のキラキラに晒される。
すると、何もしていない時間が無駄に思えてくる。感じる必要のない虚無感が襲ってくる。他人の発信するある意味「Fake」に惑わされてしまう。
SNSの世界では、他人と比べるな!という方が難しい。
けれど、少なくとも自分を責める必要はないと思う。
「何もしない」時間にこそ価値がある。
時短社会は、何もかも早く進む世界。無駄を排除し、効率化が進む。
電車は時刻通り走り、地図アプリで道に迷わず目的地に辿り着く。
全てが効率的・合理的に動くため、余白が生まれず、段々と窮屈さを覚える。
「何もしない」ことを無駄に思うかもしれないけど、意識的にその時間を作るのも大切です。
「Nothing is Something」=「無は有である」。つまり、「何もしない」を「する」。
何事も時短できてしまう今だからこそ、「何もしない」という贅沢を取り入れましょう。みんなも私も。
それではまた、See ya!